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創刊65周年記念特集/競売市場から見た不動産市場/寄稿 ワイズ不動産投資顧問代表取締役 山田純男/土地神話そして神話の崩壊

創刊65周年記念特集/競売市場から見た不動産市場/寄稿 ワイズ不動産投資顧問代表取締役 山田純男/土地神話そして神話の崩壊

  • 2025.07.01
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図表1 全国不動産競売新規申立事件数推移(㈱ワイズ不動産投資顧問作成)

図表3 落札1物件当たりの入札本数推移(東京地裁本庁)(㈱ワイズ不動産投資顧問作成)

図表2 落札価格の売却基準価額に対する上乗率(%)(東京地裁本庁)(㈱ワイズ不動産投資顧問作成)

 「週刊住宅」の創刊65周年、謹んでお祝い申し上げる。長きに亘り、不動産プレーヤーのサポート役を務められ、業界に多大なる貢献をなさった貴社には感謝を申し上げる。さて、貴紙が創刊された1960年(昭和35年)は不動産市場が日本の経済成長に合わせ、というかそれを大きく上回る速度で大きくなっている最中であった。

バブル崩壊を乗り越えた先のリーマンショックと金融危機
 不動産業者も増加し、不動産の情報の取得や紹介の場、そのほか業界関連の情報に対するニーズも年々増大していた中での船出であったことと思う。
 そして、その後途中、オイルショックによる景気減速で短期間の冷え込みはあったものの1991年のバブル崩壊までの間、一貫して不動産業界は激しい地価の上昇にも支えられ好景気が続いた。いわゆる「土地神話」の時代であった。
 そこへ、あの前代未聞の地価など資産価格の大暴落が起こる。その衝撃度は、その後に起こるリーマンショックなどと比較しても、暴落金額の大きさや期間において圧倒的な大きさであった。そして金融機関の破綻が次々起こり、日本にとって戦後初めての金融恐慌にまで発展する。この間には負債総額7000億円超の末野興産など不動産業界では大型倒産が住専会社破綻に伴い相次いだ。
 ちなみに93年は私が貴紙に今も続く「東京地裁開札トピックス」の連載を開始した年である。また96年には貴社より「競売不動産の上手な入手法」を弁護士故戸田浩介氏との共著にて発刊させて頂いた。この書籍は以後改訂11版を数えるロングセラーとなっていく。
 さて、図表1をご覧頂きたい。これは全国の不動産競売の申立件数の推移を表したものである。平成バブル経済の頂点から23年までの34年間の推移を表している。これを見ると91年から前年比で上昇し、以後5年間に亘り対前年比が増加している。まさにバブル崩壊の過程をなぞっている。そして97年三洋証券、北海道拓殖銀行そして山一証券が破綻し、信用不安が生じると、多くの金融機関の貸し渋り、貸し剥しが起こった。98年は、ついに全国で7万8500件の競売新規申立事件数となり、これをピークとして2002年まで高原状態が続く。
 潮目が変わったのは02年である。当時の小泉内閣が、竹中金融再生大臣を旗振役として行った金融再生プログラムにより、金融機関の自己資本規制などを行い、その結果りそな銀行の国有化や、足利銀行の破綻処理を行うなど、信用回復の措置が取られた。そしてそれに先駆け01年にはJ―REITが生まれ、不動産証券化が進むこととなった。
 こういった施策が功を奏したのか、地価の下落に大都市を中心に歯止めが掛かってきた。そして07年まで競売新規申立件数は減少し続ける。この時期には不動産市場では収益物件が一棟売から区分所有物件まで、活発に取引されるようになった。不動産が収益還元法による価格形成されることが、一般的になってきたのもこの時期だろう。
 またこの時期になると、競売市場には一棟収益物件の出現率は減少した。任意売却による債権回収が専らになってきたのである。J―REITの銘柄も増加し、不動産私募ファンドも多々組成され、不動産流動化・証券化を主力とする不動産会社が複数成長していった。
 不動産業界は、新たな成長フェーズに入ったところで発展し続けるかと思われたが、そこに大きな蹉跌が生じたのである。サブプライムローン問題からリーマンショックへと続く金融システム毀損である。急成長してきたジョイントコーポレーションやゼファーなど新興上場不動産会社の倒産も生じることになった。図表1で分かるとおり08年、競売新規申立件数は急増し、翌09年も同じ水準での申立件数となっている。

■アベノミクスで再び活性化
 リーマンショックによる世界的信用不安に際し、日本をはじめ多くの国でその対策を実施した。日本もアメリカも財政出動による景気刺激策を施したが、とりわけ中国は4兆元におよぶ財政出動を実施し、世界的な需要収縮を止めることになった。日本では、北洋銀行への国による資本注入を実施し、アメリカもシティグループに公的資金を投入した。さらには日本も含め主要国で金融緩和を併せて行い、世界的信用不安の解消が実現した。
 10年競売新規申立件数はそれを裏付けるように激減することになる。以後競売新規申立件数は連続して減少し続ける。しかし、その一方で公示地価は下がり続けたが、ついに14年に三大都市圏については反転上昇となった。これは2013年から始まった金融の超緩和措置を始めとするアベノミクスの効果によるものであった。
 地価の上昇と東京をはじめとする大都市圏におけるマンション価格の上昇が始まり、不動産投資を検討する人も増加した。投資不適格なサブリース付シェアハウス「かぼちゃの馬車」などの登場と、その投資被害という問題を引き起こした。そしてさらにはフラット35の不正利用による詐欺的マンション販売の跋扈も招くことにもなる。
 こういったネガティブな事件などが起こるも競売新規申立件数は減り続ける。この間、東京都23区内立地のマンションは新築、中古を問わず価格は平均で1億円を突破するところまで上昇し、その後も上昇が継続している。24年3月には港区のブリリアタワー浜離宮(23年9月竣工)の専有面積約7坪の部屋が売却基準価額4198万円のところ、最高価7100万円、専有面積坪単価にして940万円で競落された。これは平成バブル時代を凌駕するような高水準落札と言えよう。

■天井から転換へ
 大都市部を中心とした不動産価格上昇が現在まで続いてきており、不動産業界はコロナ禍を挟んでもなお好景気が続いている。アベノミクス以降13年程度続くこの好景気は競売新規申立件数の減少にも反映されている。
 しかし図表1を見ての通り近年減少の割合は低下し、23年は08年および09年のリーマンショック以来で初めての増加となった。増加幅は僅かではあるものの底打ち反転の気配は十分感じられる。そして東京地裁の本庁については、新規競売申立件数とほぼ同じ数となる配当要求終期の公告数が、24年通期で924件であった。これは23年比で約1・4%の増加であり、こちらにも僅かながら増加の気配が表れている。図表1の数字は1年近く遅れた数字になっているが、この配当要求終期の公告数推移は、現在に近い傾向を示す。そこから類推すれば24年の競売新規申立件数は前年比で引き続き増加したものと思われる。東京地裁本庁における競落水準は図表2のとおり低下傾向を示している。加えて図表3のとおり競落1物件あたりの入札本数も低落傾向にあり、これらからも競売市場の「天井から転換」が感じられるのである。
 さて現在多くの不動産会社で経営の中枢を担っている不動産プレーヤーはリーマンショックの記憶は残っている場合も多いが、平成バブル崩壊の記憶は薄いように思う。
 平成バブル崩壊はその規模と期間において、リーマンショックの数倍のインパクトがあった。これを知らない不動産プレーヤーはある意味怖いもの知らずとも言え、相場急落に対する警戒感は少ないだろう。しかも売買業を主力とする不動産会社は常に仕入れし、在庫を持たねばならない事業構造であり、相場急落における対応はかなり難しい。
 しかも現在アメリカのトランプ大統領の想定をはるかに超える関税政策や、朝令暮改とも言える政権運営が世界経済の行方に暗雲をもたらせている。こういった時代には週刊住宅による情報は相場の行方を読むにあたってさらに重要になると考える。私も引き続き「東京地裁開札トピックス」連載などを通じ、微力ながら力添えをしていければと思う。今後とも引き続き読者の皆様には本紙ご購読をよろしくお願い申し上げる。
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